エッセイ
唯一人間にできること
若菜晃子(編集者、文筆家)
 まずはこのような状況下で、死に直面しても思考し続ける人間の凄さに圧倒された。チュンとユエ、彼らは山に自由な世界を求めて登っていたのだろうが(それは決してピークハントが目的ではない)それだけに山のもつ、もうひとつの面に捉えられてしまったのだろう。しかしそこで思考し続け、書き続けられるチュンはひとりの人間として、大いなる力をもっていたのだと思う。
 思考すること、思考し続けること、そしてそれを残すこと。思考というものを残すことができるのが、唯一人間にできることではないだろうか。
 イシャン監督も、チュンの思考、チュンの生を残すという、自分にとっては耐えがたい、しかしそれは自分自身を救うことでもある作業を、映画という形に完結した。残すということが、監督の示す、チュンに対する愛だったのだろう。
彼らがジェンダーの問題を抱えて生きているのと同じくして、どんな人も多かれ少なかれ重荷をもって生きていて、その閉塞感から自由になろうとして、それぞれに世界を構築しようとしている。その過程で彼らは山や旅に向かったのだが、そしてそれができるのが山という場なのだが、自由なだけに生死とも隣り合わせであって、山も海も、自然とは元来そういう存在なのだ。だからこそ人間は自然を遠ざけてきた。自然のなかでは自分と自然との関係しかなく、しかも相手は絶対に超えられない存在なのだから。
 チュンはそこでいざ死に直面しても、おそらく書かずにはいられなかったのだろうが、書いていることはその状況にある彼でなければ書けないことだった。その意味で彼は図らずも自分の生を生き切ったのだ。むろん生き続けていたかったに決まっているけれども。
 ただ、こうして死に直面するしないにかかわらず、人間は常に死に直面しているのであって、誰もがそれを見ないようにしているだけなのだが、やはり生きているかぎりは、生を思考し続けなければ(そしてそれを書き続けなければ)、と自らを振り返って強く思った。
<プロフィール>
山と溪谷社『Wandel』編集長、『山と溪谷』副編集長を経て独立。山や自然、旅に関する雑誌、書籍を編集、執筆。「街と山のあいだ」をテーマにした小冊子『murren』編集・発行人。著書に『東京近郊ミニハイク』(ハッテン)、『東京周辺ヒルトップ散歩』(河出書房新社)、『徒歩旅行』(暮しの手帖社)など多数。旅の随筆集第一集『旅の断片』(アノニマ・スタジオ)は、2020年に第五回斉藤茂太賞を受賞。